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コロナで始まりコロナで終わった2020年と2021年はどんな1年に?

ずいぶん久しぶりのブログ更新となりました。

まあ、いろいろ思うこともあり、実際に色々とあり(笑)

多少の時間の余裕も出来たこともあって、色々やっていた2020年でした。

 

やはり人間って弱い生き物なので「何々のせいで」とどうしても思ってしまうモノ。

まあ、今でいえば「コロナのせいで。。。」と思ってしまいガチなのですが、「そう思わないためにはどうするか?」と色々取り組んでいたワケで。。。

 

その一つがダイエット。

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実際に始めたのは2020年8月からで、年末の12月31日にギリギリで80キロ割れまで。(88,6→79、8キロ)。MAXの94キロからいけば約14キロ痩せることが出来ました。

運動しないで食事を変えただけ・・・で。

もうこれは「完全にコロナのお陰」と言えます。

今まで何回もチャレンジしてたけど、途中で「もういいや」となっていた。

でも今回は違った。全然収束する気配もないんだもの(笑)

 

今回のコロナの問題は人生で何度もあるモノではないと思います。

だからこそ「いろんなことを見直す良い機会」と考えました。その一つがダイエット。

自分の体形を健康を見直すキッカケとしました。

 

そんなふうに考えるようになったのは「過去の経験」から・・・です。

それはもうすぐ10年が経とうとしている東日本大震災でした。

まあ、これは酷かった。だから自分を色々見直しました。考え方や性格も行動もあらゆることを。そして、今現在の自分に満足しています。このときも「震災のせいで」・・・と考えるのではなく、どうしたら「あの震災のお陰でこうなれた!」と思えるようになるか・・・を考えて行動してきました。

 

だから自信を持ってこう言えます。

「今の自分があるのは、あの震災のおかげ」・・・と。

 

10年前の自分の頑張りがあったから今がある。

自分でいうのもあれだけど、まあまあ自分の現状には満足しています。まだまだではあるけれど、十分合格点をあげられる自分ではあると思います。

10年前の自分が今の自分を見たら「なかなかやるね!」と思ってくれると思います。

 

だから、今回のコロナも同じようなキッカケにしようと思いました。

「10年後、あの時頑張ったから。コロナのお陰で。。。」と言えるように。

まあ、ちょっと不謹慎なのかもしれませんが、そういう人間なのでお許し下さい。

 

 

ダイエットは取り組んできたことの中のたった一つです。

まあ、色々やりました。まあ、今も色々やっています。

で、最近強く思うことで「今が常に過去最高の自分でいたい」なんてことがあります。

 

あの時は良かった・・・とかじゃなく、今が過去最高。

来年はもっと。次の年はさらにもっとな自分になる。

 

自分が努力と思っている時点でそんなのは努力でもなんでもないので、楽しんで。

だから2021年はさらに「過去最高を更新」しようと思います。

だからこんなコロナ禍であったとしても。

もちろんラクではないし、甘くもないのだけれども。

 

「他人は変わらないから自分が変わるしかない。」

 

なんてはよく言われる言葉です。

それと同じで

「外部環境をどうしようとしても変わらない。だったら内部環境を変えるしかない。」

 

もちろん他人にうつさない努力とかそういうのは必要であることは前提として、自分にできることをしっかりと。

 

先ほど「今の自分にまあまあ満足している」と書きましたが、本当は嘘・・・です。

もっと出来たんじゃないか・・・とか、まだまだ、もっと出来る、もっと良くなる・・・と思っています。

 

で、おそらくそれは私だけの話ではなく、みなさんも同じだと思います。

悲観的になるのは簡単で、ずっと前向きでいるのも疲れます。

まあ、ニュートラルな状態でいるにはどうするのか?

どうすれば常に冷静な判断を下せる自分でいられるのか?

そんなことを課題としてさらに過去最高の自分を目指す2021年にしたいモノ・・・です。まあ、勝手にやってみます(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雇用調整助成金と新型コロナウィルスとアフターコロナのその前に。。。

雇用調整助成金」(こようちょうせいじょせいきん)

 

最近の新型コロナウィルスにおける一つのキーワードになっていると思います。

 

労働者を解雇などではなく、休業させその際に休業補償を行う。その場合の費用の一部を補助しよう・・・という性質の助成金です。

 

なんでこんなことをするのか?

それは企業の経営が怪しくなったとき、「解雇」などをするとハローワークに失業者が溢れてします。その失業者をなるべく出さないように調整する・・・という意味合いなんだと思います。

 

アメリカなどの企業はレイオフなどと言って、企業経営が怪しくなるとすぐ従業員の首切りを行います。で、景気が回復したらまた雇う。それが慣習化されています。

まあ、よくもわるくもハッキリしているのがアメリカ。

ロックダウンなどの政策も同じような感じです。

なので先日こんなニュースも。。。

 

www3.nhk.or.jp

 

日本は新型コロナウィルスの対策として「緊急事態宣言」という名のなんだかよくはわからない政策を取っています。日本は曖昧にするのが大好きな国。時としてそれは文化にもなりえますが、時として手遅れになる場合も少なくない。特にこんな緊急時には。

緊急事態宣言の延長などは専門家会議の意見を聴くと「専門家たちのせい」にして、休業要請などは「知事のせい」にする・・・という責任を取らない体質であることを政府自ら表明するような機会もありましたが。。。

 

まあ、そんな中での「雇用調整助成金」。

言葉を悪く言えば「ただの時間稼ぎ」です。

今回の新型コロナウィルスなどの問題のとき、体力に余裕が無ければ「解雇」などの手段を取らざるを得ません。

解雇にしようか悩むけれど、とりあえずこういった制度があるから・・・と今回のケースではアメリカほどの大量の失業者は生まれていません。今のところ。

ただ、恐らく多くの派遣労働者などは雇い止めになっていたりもするのでしょうけど。

 

その背景にあるのが直前までの「人員不足」です。

外食産業などは特に・・・ですが、慢性的な人不足に悩んでいました。

せっかく集めた人材だから・・・と解雇に踏み切れない事業者も多いのだと思います。

そして、すぐ回復したらすぐ仕事に戻りたい。

ただ、今回のケースにおいてはそれは起こるのか。それは大いに疑問です。

 

リーマンショックのときも同じようにアメリカも日本も苦しみました。

ただ、アメリカなどは極端なので落ち込みも早いが回復も早い。

日本の場合はよくも悪くもダラダラ・・・なので。。。

まあ、この政策金利を見るとわかりやすいかも。

アメリカは2019年6月まで2,5%まで金利の引き上げをしていましたが、日本は東日本大震災などがあったとは言え、ずっと-0,1%が続いています。

 

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もうほとんどの人がそんな言葉を忘れているとは思いますが、アベノミクスなんて言われた株高があっても政策金利を引き上げることは出来ませんでした。

(出来たのは消費税の増税だけだった。。。)

 

アフターコロナ・・・なんて言葉が最近言われますが、これは恐らくワクチンが開発されてからの話。ワクチンの開発は最短でも1年以上の歳月がかかると言われていますから、イメージとしては「持病を抱えながら共生していく」期間がしばらくは続くかと思います。ウィルスとの共生の期間が。。。

それまでは沈静化、気が緩んで慢性化、あせって沈静化の繰り返しになる可能性が高い。

 

日本経済の株高が続いた背景にあるのはアメリカなど諸外国の景気が良かったことがあげられます。別に日本の実力の株高ではなかった。

そして、それらを利用する形で積極的にインバウンドなどに力を入れてきたことが今回のウィルスなどの件で今後は高いリスクを含んでいることもわかった。

 

ではさてこれからはどうなるのか。

今回のこの雇用調整助成金で引き延ばしされていた失業率の上昇が生み出すモノは。。。恐らくしばらくは人員不足だった2019年とは正反対の人余りが生じてくると思います。

 

今回の新型コロナウィルスの登場でリモート会議であったり、テレワークなどが急速に普及するカタチとなりました。これまでの通勤や移動などの無駄があることを国民はもちろん企業も気づきはじめました。

AIの登場が将来の職を奪う・・・などと盛んにマスコミなどで取り沙汰されて来ましたが、それ以前の無駄(コストと時間)が浮き彫りになったワケ・・・です。

 

「山高ければ谷深し」

 

相場の格言にこんなモノがあります。

極端な政策というのはそれを理解した上で「いかに谷間(底)の期間を短くするか」

ということに注力しています。

ただ、恐らく日本のやっている政策は「谷に落ちるスピードを少しでも緩める」

ことに注力しているのだと思います。

 

「いかに谷間(底)の期間を短くするか」

 

とロックダウンなどの極端な政策を取った国々が回復していくのをのんびり待ちながら徐々に自国の回復を狙う日本としては、「谷間の期間が長くなる」のは間違いないのかもしれません。

 

問題は私たち個人個人がその時間に何をするのか。

その各自の時間の使い方で今後の人生が変わる。。。そんな話を書いてみたいと思います。

 

 

 

 

新型コロナウィルスの国の対応とゆでガエルな話。

新型コロナウィルスの猛威により、ギスギスした社会になって来ている気がします。

人間は自分に余裕があれば他人にも優しく出来ますが、そうでない場合、こんな感じになるのでしょう。

【緊急事態宣言】がちょっとしたキーワードになっていますが、ちょっとこれが心配のタネです。個人的に。

はっきり言って今の日本、いや世界の現状は誰も経験したことのない事態です。
まぁ、1番近い例をあげたら東日本大震災かもしれません。
そして、もう一つのキーワードに「私権の制限」があるかと思います。

前述した東日本大震災における原発事故の際は、この「私権の制限」が行われました。
危険だから入っちゃダメよ・・・と「帰還困難区域」とかそんな名称で、出入りを禁止した訳です。(たしか罰金10万円とか。)

今回の新型コロナ対策として各国ではこれら「私権の制限」を行っている国々もあります。
いわゆる「ロックダウン」ってやつですね。

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本来、外出などの自由は保障されているのに、それを制限する。
諸外国はそれが良いかどうかは別として、日本が東日本大震災放射能事故と同じくらいの深刻さと捉え、制限を行っているワケです。
ところが日本は基本「お願いベース」の対処法。
ゴールデンウィーク明けに緊急事態宣言が解除されるのか、延長するのか?に注目が集まっていますが、これが問題だと私は思っています。
話は変わりますが。。。

「ゆでガエルの話」

ってご存知でしょうか。
これは「変化への対応」といった意味で昔からビジネスなどでよく使われる話なのですが。。。

カエルを熱湯の中に入れると驚いて飛び出しますが、常温の水に入れて徐々に熱すると、カエルはその温度変化に慣れていき、生命の危機と気づかないうちにゆであがって死んでしまうという話です。

これは急激な変化には危機意識が働くのに対し、変化が緩慢だとそれに慣れ過ぎて、対応するタイミングを逸しやすい。
危機を認識したときには致命的なダメージを負っているという「ゆでガエル」の比喩なのですが。。。

ここで気づくことはないでしょうか。
新型コロナウィルスの各国の対応は様々ですが、「ロックダウン」のように私権の制限を行うような過激な対応は、まさに熱湯。
日本の緊急事態宣言のような対応は「徐々に熱せられてゆでガエル」になってしまう対応なのでは?と思ってしまうのです。

ゴールデンウィーク明けにも緊急事態宣言が解除されるか、延長されます。
大方の予想は延長でしょう。問題は「その期間」です。
2週間とか細切れの対応であればそれが対応を遅れさせるでしょう。
で、おそらくそういった対応となる可能性が高いのが現状です。
これを思い切って2ヶ月とか3カ月・・・と出来るのであれば個人的には評価出来るんですけどね。。。

諸外国のようにロックダウンが正しいとも思いません。
色んな問題はありますが、日本人ならそれほど過激でもないお願いベースの緊急事態宣言の判断で問題ないかと思います。
ただ、その期間設定が問題です。経済の問題とかいろいろあるのもわかります。
だけど、2週間ごとの細切れ設定などで振り回されるのは国民です。
2ヶ月などの期限をきれば恐らく問題の深刻さをさらに理解するでしょう。
色んな選択肢の判断・行動も変わることでしょう。

日本国民を生殺しにしないためにも。日本国民をゆでガエルにしないためにも。
まあ、国がそれを設定出来ないのであれば、せめて個人の考えくらいはそういった意識でいなければならないように思います。
最初はゴールデンウィ―ク明けまでに設定したけれど、やっぱり5月いっぱい延長します。あっ、やっぱり6月いっぱにまで延長します。
いややっぱり年内いっぱい・・・なんてやられたらほとんどの人は心が折れるかと思います。
最初からそう言ってくれたら違う行動・決断をしたのに・・・となるかと思います。

「最悪を想定して行動したら、意外に早く収束した!」

なんて結果として逆にラッキーと捉えられるのは良いことだと思います。
繰り返しになりますが、今回の新型コロナウィルスなどの問題は「誰も経験したことにない事態」・・・です。
誰も経験したことがないから専門家もいない。誰に相談しても答えはわからない。

でもこんなヒントも隠されているんです。
最近、ハローワークで「雇用調整助成金」のニュースを聞かれたことがある方もいるかと思います。
従業員を休業させた場合に出る助成金の話なのですが。。。
ちなみにハローワークの親玉は厚生労働省です。厚生労働省はこういった労働とか雇用はもちろん医療の分野も司っている省庁です。
そこが「コロナウィルス対策」としてこの雇用調整助成金を大幅に緩和しているのですが、その特例期間として「4月1日~6月30日」という期間を区切っています。
つまり、本音としては6月30日位まではかかるだろう・・・と国は考えているワケです。(さらに延長も示唆している。)
ただ、緊急事態宣言を出すのは政治・・・なので色んな思惑、批判がある。だから・・・という話。
まあね、選挙とか支持率とかありますからね。本音と建て前は違うのは当たり前の話で。。。

これから色んなニュースを目にするかとは思いますが、この「ゆでガエルの話」を頭に入れながら国の決断などを眺めて貰えればいろいろ気づくこともあるかもしれません。
そんな私もそういった心構えでせめて自分くらいはそんな意識でこの問題に望みたいと考えています。

新型コロナウィルスと高齢者の車の逆走運転の共通点?

さっき買い物にスーパーに行ったら、こんなご時世なのにマスクもしてない人がたくさんいました。
いわき市でも毎日のように感染者が出ているのにも関わらず・・・の危機感のなさ。。。です。

普段なら絶対にマスクなんかしない私でさえ、マスクしてるのに!マスク大嫌いなのに(笑)✨

まぁ、でもね、これは危機感の無さなのか、それとも自分だけは大丈夫だと思っているのか、同じ生き物として不思議にすら感じます。

相変わらず普段と同じように出掛ける人々。
こんな時節に外でスケボーしてる隣人。
で、マスクもせず買い物する人たち。。。

話しは変わって最近、話題にもなりませんが、少し前までは高齢者の免許返納問題などがありました。

アクセルとブレーキの踏み間違い。
高速道路の逆走などなど。

高齢者・・・と言っても、実際ニュースになるのは自分の親世代であったりで決して他人ごとではありません。

まぁ、免許返納に応じない人たちに共通するのは、
【自分はまだ若い、自分は大丈夫、自分は運転が上手い】
という思い込みなのかな。。。などと思ったりします。

自負というかプライドと言うか。
それで他人を巻き込み、時にはニュースになるような重大事故を発生させたりしてしまっているのですから、要らない自尊心だとは思うのですが。。。

迷惑以外の何者でもない。
事故に巻き込まれた方は堪ったものじゃありません。

話は戻って新型コロナウィルス。
この場合、高齢者は自分の身が心配なのもあり、マスク装着率は高いです。

どちらかと言えば20~40代の装着率が低いように思います。ある意味でこうした人たちが高齢になると危険運転をする予備軍なのかな・・・などと思ってしまいます。

マスクが買えない。
マスクが手に入らない。

ってならまだ理解は出来るのですが。
仮にマスクは持っている。けれどしない。
という場合、まず間違いないかと思います。

マスクがなくて外出するなら最悪タオルでも巻いていけば良いんですからね。

恐らく思考回路としては【自分は大丈夫】という、自分本位な考えが中心だと思います。
高齢者の場合なら、【自分が感染したら死んでしまう】かもしれないという恐怖心がマスク使用率を高めているのだと思いますが、普通の一般的な感性の人の場合、自分が感染するのも嫌だけれど、【自分の周りの大切な人の為】にマスクをするのだと思います。

仮に【自分のためだけ】にマスクしている人もいるかとは思いますが、その行為は結果的に周りの人を守る行為に繋がるから、それはそれでOK。結果オーライ。

でもそれでもマスクをしない。
変わらず出掛ける。
って人の考えは、やはり理解しにくい。

そこでちょっと浮かんだイメージが、【高速を逆走している高齢者の頭の中身】でした。

あくまでもイメージですが、恐らく自分が間違えてるとは思わず、【なんで対向車が向かってくるんだ(なんでそんなマスクしてるの)】って感じなのでしょう。(いやいや、流れに逆らっているのはあなたです!)

仮に事故を起こしたら【あっちが勝手にぶつかってきた(それはウィルスが悪い)】(あなた以外全員が迷惑と恐怖を感じています!)

そんな感じでの言い訳。【自分は正しい。間違っているのは自分以外】

アクセルとブレーキを踏み間違えた人が言う言い訳も【ブレーキ踏んだら勝手に動き出した!】(いえいえ、あなたが踏み間違えたの、それはもう確実に!)

ってな感じで基本的には他人のせいにする人はこんな感じなのかもしれません。

【自分が正しい】と信じている人には何を言っても聞かないです。新型コロナウィルスでのマスクをつけたり、外出を控えるよう言っても言う事は聞かないでしょう。
それは高齢者の免許返納が進まないことをみても明らかです。

ある意味でこの時期にマスクもせずあちこち出歩いている人を見かけたら、そういう人と積極的に付き合うのはやめた方が良い。。。という目印になるかもしれませんね。

だって【自分の事しか考えられなくて、問題があればすぐ他人のせいにする】人の可能性が大だから。

まぁ、100%ではなくてもかなり確率は高そうです(笑)✨

多少でも空気が読める人ならば、外出を控えるでしょうし、せめてでもマスクはするでしょう。
んー、加えてKY(空気読めない)な人とも言えるかもしれませんね。

そんな考えもまだ若いなら理解出来なくもありませんが、最近は若い人の方がしっかりした考え出来てたりしますしね。

そういった意味で【気持ちだけは若い人たち】は、こんなご時世だとマイナス面しか出て来ないのかもしれません。

周りがマスクしているから、【人と同じは嫌だから】私はしない。と言う人もいるかもしれません。
周りが外出を控えてるから【人と同じは嫌だから】私は外出する。と言う人もいるかもしれません。

まぁ、通常時であればそれも個性で通るかもしれませんが、今は緊急時。周りは大迷惑です。空気が読めなくてただの痛い人ですから、ちゃんとバレないようにマスクして家で大人しくしてましょうね!

ピンチはチャンス!の本当の意味?と「明けない夜は無い」な話。

「ピンチはチャンス」とよく言います。

 

今、世の中は新型コロナウィルスの脅威に晒されており私自身も含め、まさにピンチを迎えている方が多いかと思います。

では逆にチャンスなのか?

そんな私個人が考える話を書いてみたいと思います。

 

まずはピンチの定義。それは

「過去の経験が全く役に立たない時」

「ピンチがチャンスだ!と言われても、そんなこと全然考えられない時!」

 

このような状況の時が本当の意味合いでのピンチだと思います。

そういうとき人はパニックになる。不安になる。疑心暗鬼にもなる。

それは仕方ない。それが当たり前の反応だと思います。

 

で、ピンチはチャンスって書きましたが、一体どんなチャンスなのか。それは

「自分の考えや行動を変えるチャンス」という意味だと私は考えています。

 

大体、世の中の多くの人が「自分が1番正しい」と考えたりしているモノ・・・です。

まあ、これは年を取れば取るほど、経験を積めば積むほど顕著になります。

でも、本当のピンチというのは先ほども書いたように「過去の経験が全く役に立たない時」・・・なので、自分の考えを変えるしか対応の方法はありません。

そういった意味で、「本当のピンチというのは間違った自分の考えを変えるチャンス」なのだと私は考えています。

 

そういう自分も震災前は偉そうなことは言える感じではありませんでした。

多少、今よりは若かったから「自分の実力で自分のやり方で。。。」なんて考え行動していたのですが、2011年に東日本大震災が起こり、原発事故による避難で過去の経験が全く役に立たない状況に追い込まれ、それに対応するには自分の考えを変化させるしか無かったと言えます。

まあ、同じ経験をしてもそうでない人も確実に存在すると思うので、それを生かせなかった人たちもたくさんいるとは思うのですが。。。

ちなみに私の場合、「自分のやり方がすべて間違っていたんだ。」とハンマーで殴られたようなほどの衝撃を受けました。

 

余談ではありますが、私は何か問題があったときすべて「自分に何か問題がある」と考えるようにしています。よくいう「自責」というヤツでしょうか。

だから震災のダメージは本当に大きかった。

一方で「他責」という言葉もあるように「すべての原因は周りにある。」という考えをする方もいます。恐らくそういった人は何も学べていないんだとは思いますが。。。

そういう人はこんな他人のブログ読まないからもっと文句書いても何ら問題ないんですけど(笑)

 

そんな人の話はおいておくにしても、震災当時私が思ったことは

「絶対にこの震災があって良かったと思える人生にしよう。」

と誓ったことでしょうか。何があっても絶対に震災のせいにはしない。言い訳はしない。そう思えるようにするためには・・・と逆算して行動をしていたように思います。

 

まあ、過去のブログでも書いていますが、こんな時だからこそ・・・と今持っている資格すべてを震災後に取りましたし、それだけでなく色んな行動、考え方を変えました。

とはいえ、そんなに難しい話ばかりではなく、「今まで嫌だったことをしよう」と思っただけかもしれません。

まあ、レベルの低い話を書けば「飲み会とかが嫌い」だったから、「誘われたらすべて行くようにしよう。」とかそんな程度の話もあります(笑)

 ゴルフもたくさん誘われていたけれど、「絶対にやらない」って決めていたから、じゃあやってみようか・・・とかそんなレベル。。。

 

でもそれをキッカケに知り合いもたくさん増え、人生が変わりました。

その面白さに気づくとどんどん積極的になって来て、それが加速すると止まらなくなります。そうなってくると不謹慎な考えかもしれませんが「震災があって良かった。」と心から思えるような今となったのです。

だから今回もこの新型コロナウィルスの問題も同じように「自分を変えるキッカケにしたい。」と考えています。

 

「絶対にこの震災があって良かったと思える人生にしよう。」

 

その思えるようにするためには・・・とやはり同じように逆算して考え、行動していこうと思っています。

余談ではありますが、こういったピンチの時は長期戦覚悟で行くべきです。

過度にマイナス思考になってもいけないけれど、過度にプラス思考でいてもいけない。

無理矢理、前向きにポジティブに行き過ぎると疲れてしまいますから。。。

そして、この問題を「他責」(周りのせい、環境のせい)にしてばかりいると成長のチャンスを逃してしまいます。

 

「自分に変えられないことでは悩まない。どうせ悩むなら自分の何を変えられるのだろうか・・・」ということで悩みましょう

 

例えば・・・ですが、政府や行政の対応が悪い・・・とか、コロナウィルスをどうにかしたい・・・と思っても変えることは出来ません。

東日本大震災津波原発事故のことなど人間一人の力ではどうしようもないことに悩んだりしても、所詮どうしようもないです。

そんな大きな話ではなくても、「他人を変えることもできません。」

こんなことブログに書いていますが、このブログ他人を変えることなんてそもそも出来ませんし、出来るとも思っていません。

もしこのブログが仮に人の参考になる事があるのだとしたら。もし色んなことに気づけたのだとしたらそれは「その人の元々ある才能」です。これは確実にハッキリ言えます。

 

 「明けない夜はない。」

 

なんてよく聞く言葉ですが、この言葉を聞くと幼少の時の記憶が今でもリアルに蘇ってきます。小児ぜんそくだった私はいつも発作が起きると呼吸が苦しくて夜はまったく寝れず、ずっと正座したまま朝を迎えていました。(正座が1番楽な姿勢だった。)

なかなかね、夜が明けないんですよ。

眠いけれど、苦しくて寝れない。

親のところにいっても親は寝ているからずっと一人で朝を待っていました。

 

恐らくこれから皆さんも大変のことも多いとは思いますが、それでもやっぱり明けない夜はない。過度に心配しすぎることなく、また過度に前向きになることなく、冷静に今自分に出来ることをたくさん悩んで乗り越えて行きましょう!

 

被害者が加害者に?居酒屋1周年記念の日に休業と原発事故の避難と新型コロナウィルスの話。

本日は2020年4月11日。

本来であれば居酒屋(居心家大黒さん)が開業して1周年記念の日に、まさかの臨時休業を告知しなければならないとは。我ながら情けない話です。

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福島県いわき市はそれほど感染者も出ていませんし、別に自粛要請されている地域でもないのですが、決断しました。

入っていた予約も全キャンセルですし、そもそも予約自体が入らない。

それでもお店を開けていれば多少のお客さんは入り、多少の売り上げは上がるんでしょうけれど、自粛ムードが高まっている中、このままお店を開けておいて良いのか。

もし従業員が感染したらどうするのか。お客さん同士でクラスターなんて発生したらどうするのか。売り上げが減っていて固定費の支払いなどの問題はもちろんですが、本当に多く飲食店が悩んでいると思います。恐らく、全国的に。しかも飲食店に限らず・・・多くの業種で。。。

 

「泣きっ面に蜂」

 

なんて言葉がありますが、大体、災難は畳みかけるようにやって来ます。東日本大震災のときは「2~3日で戻ってこれるだろう」なんて高をくくっていた避難が9年以上も現在進行形で続いている経験があるので、同じ失敗はしたくない。臨時休業という判断はすぐにこの新型コロナウィルスが落ち着くのであれば問題ありませんが、「もし長期化したら。。。」のリスクに備えての意味合いが強いです。

 

原発の避難の時も「差別」がありましたが、今もまさに同じ感じ。

それも「世界同時多発無差別テロ」の様相で「差別」が発生しています。

「犯人は誰だ」・・・的な感じで。

本来、ウィルスに罹患したならば被害者であるハズなのですが、今は加害者側にされてしまいます。原発事故で避難している時に多くの人が経験したであろう現象が今、また起きています。金銭的なダメージも大きいですが、その上にのしかかる精神的ダメージはもっと辛いし大変です。

でも悲しいかな。これが現実。

ウィルスも怖いけれど、本当に怖いのは人間です。

都内などでは営業の自粛要請が出ているところもあるでしょうけれど、これからは盗難が増えるでしょう。震災などの時も同じでした。どこのどんな災害でも同様です。

 

東日本大震災による原発事故の被害の時、「1000年に一度の。。。」といった形容がされましたが、今回の新型コロナウィルスも同じ規模、もしくはそれ以上のかつて誰も経験したことのない規模の災害になる可能性があります。

「政府の対応が遅い」とか批判も凄いですけれど、そんなのいつも同じです。

 

原発事故の収束に当たっていた人たちが感じていた緊張感や恐怖を今は、医療関係者の方々がそれらを感じながら必死に対応をしてくれていると思います。

放射能という見えない敵と戦ってくれた人たちのように、新型コロナウィルスという目に見えない敵と戦ってくれています。

それには感謝の気持ちしかないワケですが、そういった医療関係者の方々の負担を減らす手段が営業自粛などの選択であるとも思います。

 

ウィルスの感染者が日増しに増えていますが、そうなってくると今現在働いている人たちの間でも不安や不満が高まってくるでしょう。従業員間で疑心暗鬼になったりもするものでしょう。こうして臨時休業を決める店が増えれば増えるほどそれらが大きくもなってくる。

 

ではこういった状態になったときに、どうすれば良いのか?

答えは「今できることをやるしかない。」

「じゃあ、これからの生活はどうするんだ?」とか、

「私はこんなに大変なのにどうすれば良いのか?」

などたくさんあると思います。

言葉や表現が悪いかもしれませんがこういう時は「私の方がより大変自慢合戦」が発生します。でもそんなことをしても何か改善するワケではないでしょうし、極端な話、新型コロナウィルスに罹患し死んでしまったら終わりです。

仮に死ななくても、被害者なのに加害者扱いされてしまいます。

 

「 人生はなるようにしかならない。」

 

ちょうど9年前の今頃の私もそうでした。

これはもうどうしようもない。

2011年4月11日頃はまだ避難所で生活していたと思います。何も出来ず先も見えず。

自分の力の無さと将来の不安と戦いながら。。。

「 とにかく今、自分に出来ることを必死に。やる。」

過度に悲観的になってもいけないし、過度に楽観的もいけない。

こんなときだからこそ冷静に周りを見て、自分の置かれた環境を見つめる。

偉そうなことは何も言えませんがそれしかないと思いますし、実際にそれを経験した自分もそうしていこうと思います。

 

働く男の働く理由?100日後に死ぬワニ・・・ならぬ自分な話。

仕事をする理由って色々あると思います。

生活のため、家族のため、従業員のため、自己実現であったり様々。。。

まあ、それら全部含まれていたりもするんでしょうけれど。。。

 

自分で言うのも何ですが、最近の私の起きている時間の90%以上は仕事で占められています。「働き方改革」とか「ワークライフバランス」なんてあったモノじゃない。

大げさな話ではなくこんな一日。。。

ちなみにぼーっとしてる時間に「食事」も含まれています(笑)

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自分の時間グラフ

 

 

とはいえ、昔の自分を振り返ってもナマケモノでぐーたら大好き人間なのは誰よりも自認しています。暇があれば何もせず10時間以上は寝てられる人間なのに! 

 

20代の頃ですかね。誰かのお葬式に出てこんなことを思ったのを思い出します。

「自分が死んだらこんなに人来てくれるかな?」・・・って。

 

友達や知り合いだったり関わりのある人がそれほどいないからそう思ったのかもしれませんが、全然暗い話ではなく、

「自分が死んだときにたくさんの人がお葬式に来てくれる人生を送りたい」

そう思ったのだと思います。

 

話は全然変わりますが、目標から逆算して行動するのは良いことです。

例えば「100万円の売上を上げる」って目標があったとして、それを達成するために「今、何が出来るか?」と逆算して行動とかすることですね。

 

人と話す時とかセミナーだったり、報告の基本もそうですが「結論から話す」というのが大事なように、人生の場合、「死から逆算して生きる」というのも大事なのではないかな・・・なんて思ったりもします。

最近、「100日後に死ぬワニ」というのが色んな意味で話題になりました。
こういったことを意識するのは非常に大事だな・・・と。

結論から話しを出来ない人間がだらだら言い訳するのはありがちな話ですが、もしかするとそういった人の人生もダラダラとしたモノとなるのかもしれません。

 

最近、仕事ばっかりしている影響の一つに友人の死が関係しているかとは思います。

もう2年が経つんですね。。。

大学の友人が2年前、白血病で亡くなりました。

学生時代から優秀なヤツで色んな人から慕われていて人気モノで。。。

某テレビ局に勤めていたのですが、ちょうどスポーツで大相撲の担当となり大阪に行っているときに病気になったようです。

で、一度は復帰したモノの再発し2018年3月に亡くなってしまいました。

それほど仲が良かったワケでもないのですが、2018年2月に突如、東京の病院にお見舞いに行くこととなります。(大学の友達3人で)

その時は、意識もありそれほど長い時間では無かったものの色んな話をしました。

病院を出た後もLINEでたわいも無い会話をし、元気になったら「ラーメン食べに行こう!」なんて話もしていました。

そいつのために「集まれる人間集めてみんなでお見舞いに行こう!」なんて計画を立ててた矢先に亡くなってしまったのですが。。。

 

「早く元気になってオリンピックの取材をしたい。」

 

なんても言ってましたね。

学生時代からも社会人になってからも仕事にも一生懸命だったアイツのお葬式は岩手県盛岡市で執り行われたのですが、遠方にもかかわらず全国あちこちからたくさんの参列者が集まっていました。

その人の人生の生き様がこういったモノに出るのかな・・・とその時も同じように思いました。

 

最初にお見舞いに行ったときは意識があったのに、それから病状が悪化して意識もない状態が続いたようでした。それだけでも奇跡みたいなモノなのですが。。。他の友達には言っていないのですが、実はそのあとも2回ほど一人でお見舞いに行きました。2回目の時も3回目のときも意識はなくただ顔を見にいっただけ。ところが3回目のお見舞いの際、「じゃあね」って声を掛けたとき「にこっ」って笑顔になったのが不思議でたまりません。そして、それが最後の別れとなりました。

 

「あなたが虚しく過ごした今日という日は、 昨日死んでいったものが、あれほど生きたいと願った明日なんだ」

 

この言葉の出所は韓国の白血病の息子と父親の親子愛を描いた小説らしいです。

まあ、偶然かどうかは別として。。。

こんだけ頑張ってもたいした結果も出せない自分を情けなく感じることばかりですが、アイツのことを少しは見習って。代わりは絶対に出来ないけれど。才能も能力も低いけれど。。。走れるだけ走ってみようかな・・・と思っています。

いや、本当のところはアイツに走らされているのかもしれないな・・・と思う今日、この頃です(笑)