被害者が加害者に?居酒屋1周年記念の日に休業と原発事故の避難と新型コロナウィルスの話。
本日は2020年4月11日。
本来であれば居酒屋(居心家大黒さん)が開業して1周年記念の日に、まさかの臨時休業を告知しなければならないとは。我ながら情けない話です。
福島県のいわき市はそれほど感染者も出ていませんし、別に自粛要請されている地域でもないのですが、決断しました。
入っていた予約も全キャンセルですし、そもそも予約自体が入らない。
それでもお店を開けていれば多少のお客さんは入り、多少の売り上げは上がるんでしょうけれど、自粛ムードが高まっている中、このままお店を開けておいて良いのか。
もし従業員が感染したらどうするのか。お客さん同士でクラスターなんて発生したらどうするのか。売り上げが減っていて固定費の支払いなどの問題はもちろんですが、本当に多く飲食店が悩んでいると思います。恐らく、全国的に。しかも飲食店に限らず・・・多くの業種で。。。
「泣きっ面に蜂」
なんて言葉がありますが、大体、災難は畳みかけるようにやって来ます。東日本大震災のときは「2~3日で戻ってこれるだろう」なんて高をくくっていた避難が9年以上も現在進行形で続いている経験があるので、同じ失敗はしたくない。臨時休業という判断はすぐにこの新型コロナウィルスが落ち着くのであれば問題ありませんが、「もし長期化したら。。。」のリスクに備えての意味合いが強いです。
原発の避難の時も「差別」がありましたが、今もまさに同じ感じ。
それも「世界同時多発無差別テロ」の様相で「差別」が発生しています。
「犯人は誰だ」・・・的な感じで。
本来、ウィルスに罹患したならば被害者であるハズなのですが、今は加害者側にされてしまいます。原発事故で避難している時に多くの人が経験したであろう現象が今、また起きています。金銭的なダメージも大きいですが、その上にのしかかる精神的ダメージはもっと辛いし大変です。
でも悲しいかな。これが現実。
ウィルスも怖いけれど、本当に怖いのは人間です。
都内などでは営業の自粛要請が出ているところもあるでしょうけれど、これからは盗難が増えるでしょう。震災などの時も同じでした。どこのどんな災害でも同様です。
東日本大震災による原発事故の被害の時、「1000年に一度の。。。」といった形容がされましたが、今回の新型コロナウィルスも同じ規模、もしくはそれ以上のかつて誰も経験したことのない規模の災害になる可能性があります。
「政府の対応が遅い」とか批判も凄いですけれど、そんなのいつも同じです。
原発事故の収束に当たっていた人たちが感じていた緊張感や恐怖を今は、医療関係者の方々がそれらを感じながら必死に対応をしてくれていると思います。
放射能という見えない敵と戦ってくれた人たちのように、新型コロナウィルスという目に見えない敵と戦ってくれています。
それには感謝の気持ちしかないワケですが、そういった医療関係者の方々の負担を減らす手段が営業自粛などの選択であるとも思います。
ウィルスの感染者が日増しに増えていますが、そうなってくると今現在働いている人たちの間でも不安や不満が高まってくるでしょう。従業員間で疑心暗鬼になったりもするものでしょう。こうして臨時休業を決める店が増えれば増えるほどそれらが大きくもなってくる。
ではこういった状態になったときに、どうすれば良いのか?
答えは「今できることをやるしかない。」
「じゃあ、これからの生活はどうするんだ?」とか、
「私はこんなに大変なのにどうすれば良いのか?」
などたくさんあると思います。
言葉や表現が悪いかもしれませんがこういう時は「私の方がより大変自慢合戦」が発生します。でもそんなことをしても何か改善するワケではないでしょうし、極端な話、新型コロナウィルスに罹患し死んでしまったら終わりです。
仮に死ななくても、被害者なのに加害者扱いされてしまいます。
「 人生はなるようにしかならない。」
ちょうど9年前の今頃の私もそうでした。
これはもうどうしようもない。
2011年4月11日頃はまだ避難所で生活していたと思います。何も出来ず先も見えず。
自分の力の無さと将来の不安と戦いながら。。。
「 とにかく今、自分に出来ることを必死に。やる。」
過度に悲観的になってもいけないし、過度に楽観的もいけない。
こんなときだからこそ冷静に周りを見て、自分の置かれた環境を見つめる。
偉そうなことは何も言えませんがそれしかないと思いますし、実際にそれを経験した自分もそうしていこうと思います。