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旅人がはじめる資格取得のチャレンジ2011

「6月に○○が秋田(角館)で結婚式やるから来てって!」

 

と大学時代の友達に言われた時のことを今でも覚えています。

そう言われたのは2011年4月の下旬頃だったでしょうか。

なぜ覚えているか?

 

「えっ、今、こんな状況で結婚式に出るの?」

 

と正直に思ったから・・・です。

2011年の4月と言えば東日本大震災の1ヶ月ちょっと経った頃。

その電話を受けたときは福島県いわき市にいました。

前回書いた三春のデンソー工場に1ヶ月ほど避難生活をし、その後、4月に入って会津若松市のホテルに移動していました。(最初は喜多方のホテル。)

久しぶりに布団で寝ることの気持ち良さを感じ、落ち着くまもなく私はいわき市に来ていたのです。

父親、母親はもちろん当時93歳だったばーちゃんもほかの兄弟も一緒に生活出来るようになり落ち着いたので(寒さもごはんの心配もすることが無くなった。)、今後は兄貴のお世話をするために。。。

 

私の兄貴は三春のデンソー工場にいた頃、震災から10日も過ぎようとした頃に職場に呼び出され、福島第一原発の復興作業に駆り出されていました。

恐らく環境は劣悪。放射能の危険など恐らく私の比ではないほどの不安な生活をしているだろうから、せめて食事の世話くらいは・・・と兄貴の住むアパートに住み込みごはんなどを1週間程度作っていました。その時受けた電話だから今でも覚えているのです。

まあ、ある意味衝撃的で自分の心がひどく動揺して悩んだのだと思います。

着の身着のままの避難生活。スーツなんてないし。

それに正直、人の幸せを祝福しているような状況ではない。

でも、敢えてだからこそ結婚式に出席することにしたのですが。。。

その友達には感謝しています。文句ではありませんからね(笑)

 

兄貴の家族が戻ってくることになり、お役御免になった私は5月初め会津の避難先に戻ります。「こんな時だからこそ敢えてやる。」

これは震災後の私のテーマの一つ・・・でした。

 

震災前まで継続していた資格取得の勉強を再開する。

まあ、こんな避難生活ですから住所はない。

住所が無ければ試験も受けられないのですが、調べたらホテルを郵便物の送り先にして貰い試験が受けれることがわかったから・・・です。

 

まず第一弾が2011年6月に行われた「CFP(R)認定者」の試験に受かること。

それまで6科目中4科目は合格していたので、あと2科目。

ちょうどゴールデンウィークから勉強を再開します。

避難先であった会津若松市には震災の少し前に会津稽古堂」

www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp

という新しい図書館が出来ており、そこに通い高校生に混じり勉強していました。

1ヶ月とちょっと勉強した頃試験を受けるのですが、その試験の日が秋田での友達の結婚式の次の日でした。(仙台市で受験)

 

角館で友達の結婚式に参加し、次の日に仙台に戻り試験。

結果は無事、2科目とも合格。

当然の結果かもしれませんが、その時の福島県での合格者は唯一私1人でした。

 

その頃には会津若松から中通り須賀川市へと移動。(親などは会津若松市

秋田犬との2人暮らしがスタートしていました。

この頃の私は仕事をしながらも会津若松市須賀川市いわき市、文字通り「浜・中・会津」(浜通り中通り会津地方)を横断しながら、勉強の日々を送っていました。そこで落ち着くこと無く次の試験。8月の社労士試験の勉強を再開します。

勉強出来る時間は2ヶ月ちょっと。。。

 

その後、社労士試験の2週間後くらいの9月に「1級ファイナンシャル・プランニング技能士試験」、その1ヶ月後の10月に宅建試験」と立て続けに受験。。。

 

その間、「こんなときに俺は何をやっているんだろう。」

と何度思ったことか。何度投げ出したくなったことか。

そう思うたびに「こんなときだからこそ敢えてやるんだ。」

と半分泣きながら、歯を食いしばりながら勉強しました。

「こんなときに全部試験に受かったらちょっと格好良いかも?」・・・などと妄想して自分を励ましていたような気もします。

 

話は変わりますが私は変なプライドがあって、試験当日、試験を受ける間際は絶対にテキストを見ない・・・なんて自分ルールを持っていました。

でも、そのときの試験だけは別。

試験直前までテキストを眺めていました。

受験会場はいつも試験会場となっていた場所が津波で被災したため、仙台市内の別の会場で社労士試験は行われました。

まあ、結果論とはなりますが、その直前に見たテキストから「2問」問題が出たのです。そのおかげで無事、社労士試験合格。

 

「頑張っていると神様がサービスしてくれるのかな?」なんて思ったり、被災しているから「被災者割引」でもしてくれたのかな・・・なんて思ったり。

調べてないからわかりませんが、その年、少なくとも福島県浜通りでの合格者は私1人だったのではないでしょうか。。。


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「過去の自分が今の自分を助けてくれる」

まさに2011年のときの自分が今現在の自分を助けてくれている。

これだけはハッキリ言えると思います。