たらいの水の原理とコロナウィルスと合成の誤謬な話?
こないだ「たらいの水の原理」という言葉をはじめて知りました。
人間はみな、空っぽのたらいのような状態で生まれてくる。
最初は能力も財産も何も持たずに。。。
そして、そのたらいに自然とたくさんの人たちが水を満たしてくれ、そのありがたさに気づいた人は他人にも同じように水をあげたくなり、たらいの水を相手のほうに押しやろうとすると、本当は相手のためにしたハズなのに自分に返ってくる。
たらいの水を自分にばかり集めようとすると逆に幸せが逃げて行ってしまう・・・そんな意味合いらしいです。
「たらいの水」とはお金であったり、モノであったり、技術や能力であったり。時にはやさしさであったり、気持ちであったり・・・なんでしょうね。
誰かのためにそれらを使うとやがて自分に返ってくる。
私の好きな言葉で「情けは人のためならず」というモノがあります。
人のためを思ってやった行為が巡り巡って自分に返ってくるんだよ・・・とそんな意味合いに捉えていますが、それに似ている考え。
「たらいの水の原理」
は、自分のことだけを考えて自分に水(お金、モノ、技術や能力など)を引き寄せることばかり考えると逆に結果になるよ・・・とも言っています。
仮に能力などが高くて優秀であっても、それらを世の中に役立たせられない人などその典型的な例かもしれませんね。能力や知識などは人のために使ってこそ本来生きるモノなのでしょうから。ちなみにそういう人はやたらプライドだけは高い・・・という特徴があります(笑)
コロナウィルスのマスクやトイレットペーパーの買い占めなんかもこんな感じなのかもしれませんね。「いつ入荷するの!」という言葉を日に何十回と掛けられる従業員の心情はどうなんでしょうかね。。。時には罵声を浴びせられ。。。
まあ、東日本大震災の放射能の時も似たようなことを感じたのですが、仮にコロナウィルスに感染したら、人から「人ではない扱い」を受けることもあるでしょう。
そういう扱いをする人は確実にいます。
でもそういった人がいたらこう考えますしょう。
「友達少ないヤツなんだな。」・・・と。
「想像力がないヤツなんだな。」・・・と。
仮に「知っている人に同じようなことをするか?」ぜひ聞いてみたいモノ・・・です。
自分の身の回りの人がそうなった時どうだろう・・・という想像力がない。
もしくは知り合い自体がいない。自分のことだけしか考えない。
そういった考えの人がその立場になるとこういった行動に出るのだと思います。
「他のやつらにも伝染してやる」・・・と。
世の中には「一見、得したように見えて実は損している。」
なんてことがよくあります。
わかりやすい例で言えば、飲み会の会計のときいなくなる人でしょうか。
その時は得?しているかもしれませんが、全員が気づいていることに気づいていない(笑)
「一見、損したように見えて実は得している。」
その逆も確実に存在すると思います。
感覚的にはボランティア活動などがその例なのかもしれません。
スーパーボランティアと呼ばれた尾畠さんなどを見ると、その様子がイメージしやすいかと思います。
自分や自分の家族がウィルスに感染したくない。(させたくない)
その思いや行為は間違っていない。
間違ってはいないけれど、全体としては間違っている。
買い占めに走ったり、高額での転売に走ったり。。。
本当に必要な人に行き渡らなくなってしまう。
そんなことを表す言葉に「合成の誤謬」(ごうせいのごびゅう)というのがあります。
合成の誤謬(ごうせいのごびゅう、英: fallacy of composition)とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語。
何かの問題解決にあたり、一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、全員が同じ行動を実行したことで想定と逆に思わぬ悪い結果を招いてしまう事例などを指す
まあ、あくまで個人的な見解となりますが、
「俺(私)は正しい、間違っていない!」
といったことに類似した発言をする人がいますが、そんな相談を受けたら私はこう伝えます。
「自分は正しい、間違っていない・・・という考え自体が間違ってますよ!」と。
その人自体は本当に間違っていないかもしれない。
もしかしたら正しいのかもしれない。
「でも全体として考えたらどうだろう?」という視点が欠けているから・・・です。
こないだ「たらいの水の原理」という言葉をはじめて知りました。
冒頭でそんなことを書きましたが、そういったキッカケがあると今まで自分の持っていた考えがさらに深いモノになるんだな・・・なんて思ったのでこんなことを書いています。まだまだ知らないことは多い。まだまだ勉強が足らない。
だから世の中は面白いのかもしれません。
個人的には少しは色んな人の役に立って、少しは喜んで貰えてるのかな?
なんてちょっと思ったりすることもあるのですが、とある方が色んなことを人にしてあげている姿を見て「まだまだ足りないんだな」と勉強させて貰った最近の出来事でした。